不動産という名の負債講座(2) 相続は突然に

 

日本の相続のシステムは、「これは相続して、これは相続しない」という都合の良い取捨選択ができない。

故人の財産を相続するか、相続放棄するか。

しかもこれを、親が死んだことを知ったタイミングから3ヶ月以内に決めないといけない。

 

つまり、日本の相続制度は「オール・オア・ナッシング」である。預金や有価証券のように現金化しやすい資産だけをもらい、不動産や借金のような負債は放棄する――そんな都合の良い選び方はできない。すべてを受け入れるか、すべてを捨てるか。

この仕組みは、高度経済成長期にはむしろ合理的に機能していた。なぜなら当時は、不動産は右肩上がりの「純資産」だったからだ。相続すればするほど得をする。負債を抱えていたとしても、土地や家の値上がりがそれを上回った。

しかし、人口減少と不動産価値の下落が進む現代において、この制度は人々を追い詰める。地方の空き家や利用価値のない山林、誰も住まない実家。これらを「相続」してしまうと、毎年の固定資産税や管理費用という負担を背負い込むことになる。相続税よりもむしろ、その「維持コスト」が重くのしかかる。

しかも、相続の決断は親の死からわずか3ヶ月という短期間で迫られる。葬儀の準備、手続き、心の整理――それらと並行して、資産全体を調査し、将来のリスクを見積もり、放棄するか否かを決めなければならない。冷静に判断する余裕が与えられていないのだ。

結果として、多くの人が「とりあえず相続」してしまい、数年後に固定資産税や修繕費に苦しみ始める。気がつけば、資産を受け継いだつもりが「負債の罠」に絡め取られている。

こうした状況を見れば、日本の相続制度はもはや「財産の継承」ではなく、「不良資産の押し付け合い」へと変質しているとも言えるだろう。

 

高度経済成長期には、リゾート地に別荘がステータスだった。冬にはスキーに行った。しかしそれを相続した世代が苦しんでいる。バブルの時に栄えたエリアのタワマンが、100万円でも買い手がつかないような状態になっているのはなぜか。例えば越後湯沢なんかは有名だ。

越後湯沢のリゾートマンションは、その典型例である。バブル期には「新幹線一本で東京から行けるウィンタースポット」として脚光を浴び、サラリーマンがこぞって購入した。しかし現在では、築年数は30年を超え、修繕積立金や管理費は毎月数万円にのぼる。さらに利用者は激減し、売ろうとしても市場価値はほとんどゼロ。中には「売却価格100円」や「逆に処分費用がかかる」物件まで出てきている。
つまり、所有している限り毎月赤字を生む「負債」へと変貌してしまったのだ。かつて「夢の別荘」だったものが、今や「負の遺産」として相続人を苦しめる。
これは越後湯沢に限らない。全国各地のリゾート地――那須、熱海、軽井沢、北海道のスキーリゾート――多くの場所で同じ現象が起きている。観光需要が減り、維持費が増大し、資産価値が消失していく。所有者は使いもしない物件に固定資産税と管理費を払い続ける羽目になり、最終的には「相続放棄」を選ぶケースも少なくない。

ここにあるのは、「所有」への過信のツケである。高度経済成長とバブルの時代、人々は「土地神話」を信じて疑わなかった。不動産は値上がりし続ける、持っていれば資産になる――そう信じて買ったものが、人口減少社会では逆に足かせとなる。

相続制度の硬直性と、不動産市場の構造変化。その二つが重なった結果、相続は「財産の受け継ぎ」から「負担の押し付け合い」へと変わってしまった。

 

では、これからどうすればよいのか。

 

逆転の発想ができる人は、あえて、このネット全盛の時代に、アフィリエイト、ライブ配信、youtuberなどをやり、そして越後湯沢で100万円で家を買えばよい。そしてそこに住めば良い。そうすれば、パソコン1台で稼ぎながら、家は破格の値段で手に入り、終生の棲家を手に入れることができる。

リモートワークやフリーランス的な働き方が広がる中で、必ずしも都市部に定住する必要はなくなった。インターネットさえつながれば、生活と仕事は成立する。

これは「不良資産」を「生活資源」に転換する発想である。バブルの残骸を抱えて嘆くのではなく、逆にそれを格安で利用し、低コストで人生設計を組み直す。そうすれば、「所有の呪縛」に苦しむのではなく、「市場の歪み」を利用する側に回れる。

もっとも、この選択にはリスクもある。インフラの老朽化、医療や教育といった生活サービスの不足、さらには地域コミュニティの衰退など、地方に根を下ろすには克服すべき課題が山ほどある。だが同時に、それは「都市に縛られた高コスト生活」から脱出できるチャンスでもあるのだ。

 

それから、「相続=所有の継承」という前提を疑うことだろう。つまり、「不動産は所有しない」「利用と所有を切り離す」仕組みを社会全体で整える必要がある。例えば、行政が空き家や不要不動産を引き取り、公共利用に転換する仕組み。あるいは、シェアリングやサブスク型の利用形態を拡充し、個人が「相続して持ち続ける」以外の選択肢を持てるようにする。

相続という営みは本来、世代を超えた生活基盤の継承であったはずだ。しかし今や、それが「不動産リスクの連鎖」と化している。これを断ち切らない限り、日本社会は「不良資産を抱えた高齢者と、それを拒む若者」という断絶を深めていくだろう。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

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Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。